2017年9月
     
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

固定ページ

カテゴリー

アーカイブ

藤田嗣治と浮名を流した数々の女達

藤田嗣治は、フランスで最も成功した芸術家の一人です。藤田は幼い頃からフランスへのあこがれを抱き、大学卒業とともにフランスへ留学します。その頃、藤田は掛けヲチという形で女性と結婚をしていました。藤田は、後に彼女を呼び寄せるつもりでフランスへと旅立って行きました。フランスへやってきた藤田は、日本とは異なるフランス人女性に大変感銘を受けました。日本では、女性の社会進出は遅れておらず、そのような言葉すら出てきていない時代にありました。フランスでは女性は仕事に精を出し、また、芸術を理解するという高い教養が備わっていました。女性は自立心が強く、また、性に奔放でありました。自立して働くフランス人女性と、彼女たちの奔放な性に藤田はすぐに魅了されて行きました。フランスのエロスを楽しんだ藤田は、フランス人女性と出会い、二度目の結婚をします。


その頃、世界大戦のためにフランスのパリには暗雲が立ち込めていました。戦争が激しくなると、藤田の生活もますます苦しくなりました。その頃、藤田は生まれて初めての貧乏生活を経験するものの、明るくて世話焼きのフランス人妻に支えられながら苦しい生活を乗り越えていきます。戦後、パリは好景気に見まわれ、藤田も画家としての地位を確立していきます。藤田嗣治の作風である乳白色穂肌は、パリの女性たちを魅了しました。その頃、藤田は数々のモデルたちと束の間の関係を楽しむようになり、夫婦生活は自ずと破綻に向かって行きました。藤田は二人目の妻との結婚生活に終止符を打ち、新しい妻を迎えます。その妻とともに日本への帰国を果たします。その頃、世界中は恐々に見舞われており、藤田の生活も以前よりも苦しくなっていました。日本へ帰った藤田は、自身の個展を開くことによって資金を稼ぎました。日本へ帰った藤田嗣治は、彼に対する人々の極端な評価に驚き、傷つくことになります。藤田嗣治は、フランスで芸術家として成功した唯一の日本人でありました。そのため、未だ西洋美術のまね事をしていた日本の名だたる芸術家からは嫉妬の目を向けられて疎外されてしまいました。


他方、国民からは尊敬と羨望の眼差しで見られ、藤田の個展は成功を収めます。芸術家からの嫉妬による疎外と人々の歓迎という極端な状況に、藤田は身も心も疲れてしまいます。そのような傷心の藤田が出会ったのは、日本人女性でした。日本人女性の優しさは心地よく、藤田は彼女と生涯を共にすることとなります。