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フランスで有名な日本人、藤田嗣治

藤田嗣治といえば、猫を題材にした絵画や、乳白色の色使いでとても有名ですが、一体どのような人物だったのでしょうか。藤田嗣治は1868年に東京で生まれました。1910年に東京美術学校西洋画科を卒業します。東京美術学校では、彼は決して優秀な生徒ではなく、師から酷評されていたようです。27歳でパリへ渡りますが、翌年には、第一次世界大戦が勃発。アルバイトをしながら、モンマルトルで貧乏な生活を送っていきますが、ピカソやシャガール、モディリアニといった画家たちと交友を深め、エコール・ド・パリの代表的な画家として活躍していくのです。藤田嗣治は毎晩、画家たちが集まる酒場へ顔を出し、奇行とその奇抜なファッション、髪型で有名になっていきます。そんな藤田ですが、自分の腕を磨くことも忘れてはいません。日々筆をとり精進し、マティスやボナールの参加により創立されたサロン・トートンヌ展へ裸婦の作品を出品します。

するとこの絵は絶賛され、後にサロン・ドートンヌ展の審査員となり活躍していきます。藤田嗣治は愛らしい猫たちや、優美な婦人画だけでなく、第二次世界大戦中は従軍画家として戦地を訪れ、戦争画も描いています。その中でも特に有名なのが『アッツ島玉砕』と『サイパン島玉砕図』です。敵味方入り乱れた激しい戦闘の様子や、サイパン島の日本人が崖から飛び降り自決する姿が、如実に描かれています。しかし、これらの彼の戦争画についての評価は、かなり分かれたものになりました。戦争の悲惨さを描写したという評価がある一方、軍のプロパガンダの役割を担ったという評価もあります。そしてこの戦争画が原因で、「日本画壇は早く国際水準に到達して下さい」との言葉を残し藤田嗣治は再度、1950年にフランスへ渡り1955年には69歳でフランスへ帰化します。フランスへ渡った後も、「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」と言っていたといいます。1957年にはフランスからレジオン・ドヌール勲章を授かり、その後78歳でカトリックの洗礼を受け、レオナール・フジタと改名します。そして1968年、チューリッヒの州立病院で81歳の人生を終えるまで、日本の地を踏むことはありませんでした。

そんなフジタの作品は、東京や箱根、秋田で鑑賞することができます。フランスでは、藤田が暮らしていた家がメゾン・アトリエ・フジタとして公開されています。フランスまで訪れるのはとても遠いので、まずは日本で藤田の作品をじっくりと味わってください。